› 自然と歴史の中を歩く! › 歴史・産業遺産・寺社・文化財 › 浜松・龍潭寺 彦根藩と深い関係裏付け

2017年05月24日

浜松・龍潭寺 彦根藩と深い関係裏付け

彦根藩主らの墓所の石塔と同じ規格で作られていることが分かった「共保公出生の井戸」の石碑(右)。奥が井戸◆石碑が藩主墓所の石塔と同じ規格

 浜松市は23日、井伊氏の初代共保(ともやす)が生まれたとされる「共保公出生の井戸」(北区引佐町井伊谷(いいのや))の石碑が、東京・豪徳寺の彦根藩主井伊家墓所の石塔群と同じ規格で作られていることが分かったとする調査結果を発表した。井戸を管理してきた龍潭(りょうたん)寺(同)と彦根藩の深い関係を裏付けるという。6月3日に市民向けの講座と現地見学会を開く。

 井戸の石碑は1724(享保9)年、彦根藩の9代藩主直惟(なおのぶ)が井戸の改修に合わせて造立したことが由緒書きで分かっている。

 一方、豪徳寺の井伊家墓所には、江戸で亡くなった藩主や正室らの石塔群があり、いずれも、笠の部分を除く塔身の高さが4尺5寸(約1.36メートル)に統一されている。

 調査で井戸の石碑を詳しく調べたところ、塔身の高さは同じで、笠の意匠は直惟の側室の石塔と酷似していることが分かった。

 調査した市文化財課によると、1711年に龍潭寺と別の寺との間で井戸の管理権を巡る訴訟があり、龍潭寺が勝訴。その後、彦根藩は井戸の改修費を出したり、参勤交代の途中で立ち寄ったりして関係を深めていった。

 同課の鈴木一有(かずなお)・埋蔵文化財グループ長は「藩主らに限られる塔身や意匠が石碑にも使われていることから、彦根藩井伊家が井戸をいかに重視していたかが分かる」と話した。

 6月3日は午前10時半から午後3時まで。午前は市引佐協働センターで、石塔に詳しい池上本門寺(東京)学芸員の本間岳人さんらが解説する。午後は井戸を見学する。定員60人。申し込みは26日までに市地域遺産センター=電053(542)3660=へ。(「中日新聞」より)


 NHK大河ドラマ「おんな城主 直虎」を視て、ゆかりの地やロケ地を巡っている人たちと出会うことがよくあります。


 【関連記事】直虎ゆかりの地を訪ねる①―井伊共保出生の井戸と井筒紋


同じカテゴリー(歴史・産業遺産・寺社・文化財)の記事

Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 08:16│Comments(0)歴史・産業遺産・寺社・文化財
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
浜松・龍潭寺 彦根藩と深い関係裏付け
    コメント(0)