2017年05月30日
直虎ゆかりの地を訪ねる⑧―直虎の菩提寺、妙雲寺
渭伊神社から出た辺りにあるお寺は妙雲寺。龍潭寺と同じ臨済宗妙心寺派の妙雲寺にも「井伊直虎ゆかりの地」の幟旗が立ち、解説の看板がありました。
現在は、臨済宗妙心寺派に属する寺院で、もとは自耕庵とよばれていました。戦国時代、井伊氏の苦難を支えた次郎法師(井伊直虎)の菩提寺であり、寺号は次郎法師の法名、妙雲院殿にちなみます。次郎法師は、井伊氏当主であった井伊直盛の娘で、幼い頃の井伊直政(虎松)の後見人となりました。没年は天正10年(1582)です。
現在、妙雲寺がある場所とその周辺は北神宮寺遺跡という井伊谷でも最大級の遺跡の所在地です。土地区画整理事業に先立ち、2001年から2007年にかけて発掘調査を行い、縄文時代から江戸時代にかけて、人びとがこの地に住み続けていたことが明らかになりました。戦国時代についても、大型の建物が確認され、鍋がまとまって出土した一画があり、井伊氏を支えていた有力者の住まいがあったと考えられます。
直虎が城主を務めていたと言われる井伊谷城があったのは、写真の右手。また、直虎は女城主と言うよりも、女地頭と呼ばれていたようです。
現在は、臨済宗妙心寺派に属する寺院で、もとは自耕庵とよばれていました。戦国時代、井伊氏の苦難を支えた次郎法師(井伊直虎)の菩提寺であり、寺号は次郎法師の法名、妙雲院殿にちなみます。次郎法師は、井伊氏当主であった井伊直盛の娘で、幼い頃の井伊直政(虎松)の後見人となりました。没年は天正10年(1582)です。
現在、妙雲寺がある場所とその周辺は北神宮寺遺跡という井伊谷でも最大級の遺跡の所在地です。土地区画整理事業に先立ち、2001年から2007年にかけて発掘調査を行い、縄文時代から江戸時代にかけて、人びとがこの地に住み続けていたことが明らかになりました。戦国時代についても、大型の建物が確認され、鍋がまとまって出土した一画があり、井伊氏を支えていた有力者の住まいがあったと考えられます。
直虎が城主を務めていたと言われる井伊谷城があったのは、写真の右手。また、直虎は女城主と言うよりも、女地頭と呼ばれていたようです。