2023年02月25日

造船の町、伊勢市大湊へ⑦―宗良親王乗船の地

「義良親王御乗船地」の石碑 次に案内していただいたのは、大湊と掛塚との深い関わりを示す場所。そこに建てられていた石碑には「義良親王御乗船地」と刻まれ、「南北朝時代、延元3年(一三三八)義良親王(後の後村上天皇)は、宗良親王北畠親房、北畠顕信、結城宗広等の武将と共に源氏山に陣を張り、大船53艘を大湊で調え東北へ向けて出帆しました。」とのこと。

 そして、掛塚に残る言い伝えによれば、大湊を出航した宗良親王の船団は、遠州灘の沖で暴風に遭って船団は散り散りとなり、宗良親王の船は遠州白羽浜(磐田市白羽)に漂着。その折、随員の中御門中納言某によって伝えられたのが「お公家(おくげん)囃子」。

 「掛塚まつり」で演奏される掛塚屋台囃子の始まりは、まさにここから。ここも、掛塚と大湊との深い縁を伝える場所なのです。



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