2023年02月22日

造船の町、伊勢市大湊へ④―織田信長朱印状

大湊町民会館での史料拝見 かつては同じ湊町であった掛塚では見ることができない造船所跡を見学した後、大湊町民会館で貴重な歴史資料を見せていただきました。

信長公御朱印 そもそも、大湊で本格的な造船が始められたのは、織田信長が本願寺との決戦に向け、九鬼嘉隆に命じて造らせた6艘の鉄甲船からとのこと。見せていただいた古文書は、まさにその織田信長からの書状。豊臣秀吉の朝鮮出兵に使われた「日本丸」も大湊で造られたと聞けば、日本の歴史が大きく動いたあの時代に大湊が大きく関わっていたことが分かります。

織田信長からの書状 その後、江戸へと年貢米を運ぶ廻船の時代になって掛塚湊を経由する太平洋航路が盛んになり、大湊と掛塚湊との結びつきも深まったのです。明治時代に入り、大型の洋式帆船が求められるようになると、掛塚の造船では間に合わず、大湊で造られた船を掛塚の廻船問屋たちも使用するようになったのです。



同じカテゴリー(みんなと俱楽部 ⚓ 掛塚)の記事

上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。

削除
造船の町、伊勢市大湊へ④―織田信長朱印状
    コメント(0)