2021年04月13日
天竜川の「豆こぼし」①―「豆こぼし」の由来

幕末から明治初期にかけて、南信州から北遠州の地方では、大豆の栽培が盛んでした。収穫された大豆は舟に積まれて、二俣の問屋へと運ばれたのです。
山あいの人々にとって大豆の販売は、厳しい生活の中で細々とした収入であっても貴重な財産であり、そうした人々の大豆にかける願いがこめられて、舟は流れを下って行きました。
こうした舟の何そうかが、この難所にさしかかると腕利きの船頭でも、日によって、時によって微妙に変化する流れを避けることができず、荒々しい波の中に積み荷もろとも転覆してしまうことがありました。舟いっぱいに積まれた豆は、一気に天竜川に飲まれてしまったのです。
こうしたことから、この難所を「豆こぼし」と呼ばれるようになったと言うことです。
また、「豆こぼし」という名は、このあたりの天竜川の水面を見ると、渦を巻き、わき渦が大きな盛り上がりを見せています。豆を升に盛り切って落ちかかるのと同じ様子だとして、その名がつけられたとも言われています。(「さくま昔ばなし」第17話)
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つまり、天竜川が大きく蛇行して流れる「豆こぼし」は腕利きの船頭にとっても危険な難所。警告の意味合いを込めて名付けられた通称のようです。
その位置は国道473号にある「豆こぼしトンネル」の外側。地図を見ればお分かりと思いますが、「佐久間歴史と民話の郷会館」南東に当たる場所。ここは、天竜川沿いの成り立ちや地質を探る手掛かりとなる様々な岩石を観察することができる格好の場所なのです。