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2020年06月12日

春埜山の狼型狛犬のルーツを探りに焼津へ⑩―第五福竜丸ゆかりの寺

久保山愛吉さんの墓 海で働く漁民たちにとって、水難や疫病を怖れるのは常々。ただ、死の灰を浴びて命を落とすなどとは、考えてもいなかったことでしょう。

 那閉神社に隣接する弘徳院には、ビキニ環礁でアメリカの水爆実験に遭遇してしまい、長時間にわたり降り続いた「死の灰」を浴びて命を落とした第五福竜丸の無線長・久保山愛吉さんの墓がありました。

 ビキニ事件が起きたのは昭和29年(1954)3月1日。乗組員23人全員が被曝したマグロ漁船・第五福竜丸は、非核や反戦運動の象徴の一つ。被爆した同船を改装したのは三重県伊勢市大湊の強力造船所(現・ゴーリキ)。創業者・強力善次さんの孫である修さんは、「二度と繰り返してはならない核の被害を若い人たちに語っていきたい」と今も、ビキニ事件を語り継いでいます。

弘徳院 強力修さんらが掛塚を訪れたのは2018年12月13日。掛塚の船が大湊で造られた歴史を確認しようと「みんなと倶楽部 ⚓ 掛塚」に声をかけてくださいました。今回の焼津訪問は「春埜山の狼型狛犬のルーツ探り」が目的だったのですが、奇しくも大湊の強力さんともつながってしまいました。

 これも何かの縁。大切にして行きたいと思っています。

 【関連記事】春埜山の狼型狛犬のルーツを探りに焼津へ①―「石工主任 守屋瀧造」



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