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2020年06月09日

春野町堀之内の瑞雲院を訪ねる⑪―巡礼供養塔

「奉納西國三拾三所供養」と刻まれた石碑と観音像 当ブログ記事「ステイホームで『西国巡礼』」で紹介したばかりですが、瑞雲院の山門外にはあ観音石像が並んでいます。石像の列の端には「奉納西國三拾三所供養」と刻まれた石碑があり、「寛政十一己未八月吉日」とあり、西暦に直せば1799年です。

観音像 西国三十三所の霊場が確立されたのは平安時代に遡るとされていますが、巡礼が庶民の間に浸透するようになったのは江戸時代に入ってから。寛政11年(1799)に建立された巡礼供養塔は、かなり早い時期のもとと言えます。

「奉納 四 西 國三十三所供養」の文字 いずれにしても、修行僧だけでなく庶民までが巡礼に出かけたのは、世の中に平和が訪れた時代の反映。江戸時代は、近代化・民主化を阻む「悪しき封建制」の時代として、抑圧・搾取・差別など負の側面ばかりが強調されて来ましたが、非生産的だった武士たちが戦さから解放され、全国各地で農地・新田開発が行われることにより食料増産が進み、人口が増加。巡礼供養塔も、江戸時代に咲いた庶民文化の花の1つと考えことができると思います。

 もう1基(右上の写真)には「奉納 四 西 國三十三所供養」の文字が刻まれ、「西」と「四」の字が左右に並んでいました。

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