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2020年06月05日

春野町堀之内の瑞雲院を訪ねる⑦―「左あきは道」の常夜燈

秋葉山常夜燈 瑞雲院に足を踏み入れるとすぐに、「秋葉山瑞雲院の草創は、寺に残る由緒書によれば、養老二年(七一八)に遡り・・・」「行基、此地行化の辰・・・」(浜松市教育委員会)の解説板が建てられています。

 「待てよ?養老2年?」。素直に考えれば養老2年まで遡ることも、行基の開山もあり得ないことは、容易に想像がつきますよね?ただ、私たちは歴史家でもなければ、宗教家でもありません。研究者でもなければ、教育者でもありません。寺社の縁起とは、もとよりそんなもの。歴史的な事実を伝えるものではなく、むしろ人々の「かくあれば・・・」との思いを表したものと考えるべきでしょう。

「左希多道」 山門をくぐり、本堂前の坂道を上ったところに、寛政2年(1790)建立の「常夜燈」が建っていました。

 竿部に刻まれた文字は「右かけがわ道」「左あきは道」。「左あきは道」の裏側は「左希多道」と書かれています。草書体で崩して書かれた「希多」―何と読めば良いのでしょう?あなたは、この字が読めますか?

 実は、この字は学校では教えてくれない仮名文字「変体仮名」。「希」は「け」と読み「多」は「た」と読みます。つまり「左けた道」と読めます。変体仮名が読めなければ「生楚者゛(きそば)」も読めなければ、「志る古(しるこ)」も読めません。浜松まつりの鴨江の凧印の「可(か)」も「う」としか読めず・・・。ほとんどの人は、変体仮名など知らないままで暮してきているのではないでしょうか?

「寛政二庚戌正月吉日」 まあ、変体仮名の話は置いておくとしても、さて、この常夜燈、もともと何処に建っていたのでしょうか?「右掛川道」「左秋葉道」、その裏が「左気多道」が当てはまる辻はどこでしょう?資料によれば、若身の気田川渡船場近くの路傍に建てられていたとか。参詣者にとって、心強い道しるべの役割を果たしていたのだろうと思われます。

 夜道を照らす「常夜燈」の仄かな灯りを、人々はどんな気持ちで眺めたのでしょうか?さあ、左の道を辿れば秋葉山まであと少し。はるばる遠路を歩いて秋葉詣でに来た人。そして道しるべの常夜燈に毎晩火を点した人がいたのも、忘れてはいけない山里の歴史です。

 ちなみに、寛政2年とは、「天明の大飢饉」後、米の価格が高騰し、松平定信が物価引下げ令を出した年。世に言う『寛政の改革』の年に当たります。

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