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2020年03月19日

東海道・由比宿を歩く⑧―川島家と柏屋

川島家 東海道の蒲原宿と興津宿との間に位置し、本陣、脇本陣のほか、32軒の旅籠屋があった由比宿。難所として知られた薩埵峠の手前には「間の宿(間宿)」も設けられていました。

 その「間の宿(間宿)」の脇本陣であったのが前回紹介した小池家。その先に残る川島家は・・・

 西倉沢は、薩埵峠の東坂登り口に当たる「間の宿」で十軒ばかりの休み茶屋があって、旅人はここでお茶を飲み、疲れをいやし、駿河湾の風景を賞で旅だっていきました。

 ここ川島家は、江戸時代慶長から天保年間凡そ二百三十年間代々川島勘兵衛を名のり、間の宿の中心をなし、大名もここで休憩したので村では本陣とも呼ばれ、西倉沢村名主もつとめた旧家です。静岡市


柏屋 その先にあったのは、「明治天皇御小休所跡」柏屋です。柏屋とは・・・

 江戸時代から間の宿にあって、柏屋と称して茶屋を営んでいました。

 明治元年(一八六八)及び十一年(一八七八)、明治天皇ご東幸のみぎりは、ご小休所に当てられました。

 明治十五年(一八八二)頃、静岡県令大迫貞清が療養のため柏屋に逗留された際、倉沢の気候風土が郷里の九州に似ているところから、田中びわの種子をとりよせ栽培をすすめ、当地に田中びわが普及するところとなりました。静岡市


びわ 確かに、倉沢から薩埵峠へと続く道の傾斜地ではミカンなどの柑橘類と並んでびわの栽培が盛ん。この日も袋掛けの作業で大忙しの様子でした。

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