2020年01月12日
東海道・宇津ノ谷峠を歩く⑬―旧東海道の馬頭観音
宇津ノ谷側から峠を越す旧東海道へは、舗装道路を左折。いきなりかなり急な坂道を登り、右へと曲がる道端に舟形光背の2基の石像が建てられています。この2基が馬頭観音。本来は観音菩薩の変化身であり、六道の一つ、畜生界を済度する仏として信仰されていたのですが、戦国時代が過ぎ軍用馬としての需要が減り、農耕馬や輸送馬が一般化した頃から、馬の守護神として信仰されることが多くなったようです。
北遠で見かける馬頭観音は農耕馬や木材輸送馬の供養のための建立が多いようですが、ここ宇津ノ谷峠の馬頭観音は旧東海道を往来する人や物資を乗せて歩いた馬の供養のため。向かって右の光背に刻まれた文字は「嘉永五子八月」でしたので、西暦1852年の建立。旧東海道が日本の東西を結ぶ主要幹線道路であった時代のものです。
北遠で見かける馬頭観音は農耕馬や木材輸送馬の供養のための建立が多いようですが、ここ宇津ノ谷峠の馬頭観音は旧東海道を往来する人や物資を乗せて歩いた馬の供養のため。向かって右の光背に刻まれた文字は「嘉永五子八月」でしたので、西暦1852年の建立。旧東海道が日本の東西を結ぶ主要幹線道路であった時代のものです。
左の馬頭観音には「馬頭観世音」「大正五年十一月」と刻まれているようですから、もしかしたら「明治のトンネル」が開通し、自動車による移動が普及し始めた時代に建てられたもの。その頃から、旧東海道を歩く人は一気に減少したと思われます。