2019年03月08日
旧「横山橋」の歴史を辿る③―ピーヤと錆びたケーブル

「現在のこの橋が架け替えられたのは確か。その前の橋は昭和28年(1953)に竣工していたはず。じゃあ、場所が少し違っていたんだ」。
横山小学校に残された旧「横山橋」の石の銘板のことは、すでにお伝えした通りですが、旧「横山橋」がどこに架けられていたのかについては、触れませんでした。「ちょっと、小学校の向こう側に行ってみようか?」。

「横山橋って、昔はこっちに架かっていたと聞いたんですけど・・・?」と切り出してみました。すると、「そうだよ。そこの道から、真っ直ぐ向こうに架かっていたんだ」「やっぱり。何か、残ってはいないんですか?」「吊り橋のワイヤーが残ってるよ」「吊り橋?」「そうだよ。吊り橋だったんだ。そこのピーヤ、コンクリートに金属のワイヤーが見えるだろう?」。そう言えば、先代の旧「横山橋」はランガートラス併用吊橋だったはず。どうやら、ケーブルを繋ぎ止めていたコンクリート部分、ピーヤだったようです。
「天竜市誌史料編」によれば、横山村には・・・

林業よりも、農業、水運に関わる人たちが多かった様子が伺えます。
「昔は、船下りがこの下から出ていたんだ」との話を聞かせていただいたお年寄りも、「俺は、海軍の志願兵で終戦を迎えたんだ。もう二度とあんな無茶なことやっちゃあいかんな」と・・・。吊り橋を支えたケーブルは赤く錆びついていましたが、横山のお年寄りは、嬉しいことに、まだまだ錆びてはいませんでした。
3枚目の写真は、『龍山郷土文化保存伝習施設』に展示されていた「横山渡船場」の写真です。