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2018年04月26日

龍山町戸倉の東福寺観音堂を訪ねる⑥―観音堂の棟札

観音堂の棟札 後日、東福寺の住職にお断りを入れて、観音堂の中を覗かせていただきました。すると、逗子の脇に立て掛けられた「上梁文」と墨書きされた板が。漢字ばかりで書かれていましたが、1文字1文字読んでみました。

 上梁文

遠江州豊田郡戸倉村之巷在堂同村太田氏次郎左衛門之所宰也堂有觀音大士長可三尺傳謂僧正行基之手彫而且秋葉山之觀音大士同木同作也焉於茲星霜梢久棟宇傾斜尊像亦損○田氏當是時目不忍視是今○難久仍理在更張○然嚢中装懸磬矣晨夕思之在茲焉所然秋葉堂頭梁公禅師感上來之因由於即○志願而○田氏云堂宇○既已久尊像又損○余以為夫人伯仲之閒一人冨而一人貧即誰夫可憐是哉思之○佛菩薩不○之哉依欲再建佛宇次彩○尊像於何如田氏踊躍頓音曰然誠如尊命者正是時縁幾乎熟者也矣而命○工營佛宇之興起今茲戌午之孟春始工同至五月中旬而竣功田氏馳書末上梁銘因把毫應需也更添一○祝佛宇之重興盛大者如在偈言

傳聞千載右霊境 須逆變遷時運融 梁老績依○觀露 大悲徳逐鼎新衆
坐來木月龍河白 不断雨華巌畔紅 従是化緑何可限 群生普導入圓通

○○寛政十戌午五月○
  現能善七世禪宗如和蘭誌

  棟梁信州上諏方 立川内匠冨棟
              宮坂長兵衛正春
           三井傳四郎 民


逗子 もしかしたら、誤読してしまった文字があるかも知れません。意味は、「行基作と伝えられている観音像を納めた堂が古くなり傾いてしまったので、秋葉山のお堂の建築に来ていた棟梁にお願いして、建て直してもらった」。その時の棟梁は。立川内匠冨棟(立川和四郎冨棟)。寛政10年(1798)5月に完成したと記されています。

 これを読んで見直してみると、行基作と伝えられる観音菩薩像を納めた厨子も、向かって右隣りの厨子も、もしかしたら立川流の造りかも知れないと思えて来ます。



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