2018年04月24日
龍山町戸倉の東福寺観音堂を訪ねる④―束石に使われた秋葉山町石

もしかしたらと思い、反対側の束石を見ると、裏側に「十八」の文字。合わせると「十八町」と刻まれた町石だったのだろうと思います。
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では、どこの町石か?もちろん、秋葉山へと続く戸倉道に建てられていたもの。以前、戸倉道を歩いて秋葉山に登り、参道の町石を調べたことがありました。その時に撮影した写真をチェックしてみると、十五、十六、十九町はありましたが「十八町」の町石は写っていません。つまり、参道に残ってはいない町石は、ここに使われていたということでしょうか?
観音堂を建てたのは諏訪の立川和四郎冨棟(1744~1807)だったとすれば、江戸時代の中期の建造。その後、補修された跡も見られますので、その時期に町石を束石として流用したものかも知れません。