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2017年06月16日

光いっぱいの光明山遺跡⑪―嘉永、弘化、文政、寛政

光明寺跡に残された石の燈籠 今は平成時代。しかし、昭和6年(1931)火災に遭い廃墟と化したかつての光明寺跡に残された石の燈籠には、それぞれ、「嘉永三庚戌五月」「弘化三年午九月吉日」「文政二己卯年三月」「寛政九丁巳年」などの文字が刻まれています。

 「嘉永」「弘化」「文政」「寛政」などは元号。そして、「庚戌」「己卯」「丁巳」などは干支。「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」の十干と「子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥」の十二支を組み合わせ、60年で一巡したのが「還暦」です。江戸時代の年号は、この元号と干支とで表わされました。

光明寺跡に残された石の燈籠 嘉永3年は西暦1850年、弘化3年は1846年、文政2年は同1819年、寛政9年は同1797年となりますが、実際には当時は旧暦でしたので、月によってはズレがあります。

 次の元号が何になるのか?光明山遺跡では、今も江戸の時間が流れています。

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