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2017年04月15日

掛塚湊の面影を訪ねて①―掛塚港廻船之碑

掛塚港廻船之碑 繁栄した掛塚湊の鎮守でもあった貴船神社の北東奥には、「掛塚港廻船之碑」が建てられています。

 江戸時代から木材搬出の湊町として栄えた掛塚でしたが、明治22年(1889)、東海道線が開通以後、利用は徐々に減り、大正の初めには港の機能は終わり。かつてここに港があったことを伝えようと大正13年(1924)9月に「掛塚商船組合」の手で建てられたのが「掛塚港廻船之碑」です。

 ここで、ちょっと考えてみましょう。「湊」と「港」の違いは何?

 「湊」も「港」も読みは「みなと」ですが、「湊」の字を使う時には、河口などの自然条件を利用した古くからの船着き場や港町全体を指すことが多いようです。それに対して「港」の字は、港湾施設を備え、船が接岸できる場所を指します。

 天竜川の河口に位置していて大型の船が接岸できる自然の立地に恵まれた掛塚は、古い時代から舟運の拠点として、廻船業や荷揚げ、加工など、様々な職種とともに、時代の先端となる情報や文化が集まる町でした。

 単なる「港」ではなくて、人々が誇り高く暮らした町。これが、掛塚湊と「湊」の字を使う意味であり、意義でもあるのです。

 そのため、ブログ記事のタイトルは「掛塚湊の面影を訪ねて」と「湊」の字を使うことにしました。



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