2020年02月09日

磐田・歴史の道を歩く⑤―旧見付学校の石

旧見付学校の石垣 旧見付学校の石垣は、明治2年(1869)に廃城となった遠州横須賀城の石垣に使われていた天竜川の玉石。同6年(1873)に払下げを受けたとのことですが、近くの天竜川で集めたのではなく、横須賀城のものを使ったのには、開校に当り尽力した大久保忠利らには、旧見付学校を磐田のシンボル「天守閣」にしたいとの思いがあったのではないでしょうか?

旧見付学校の石段 丸い石を切り欠くことなく積み上げた玉石積みは脆そうに見えますが、軟質な部分がそぎ落とされた丸石は重くて固く、高く積み上げることをしなければ、切り出した軟質系の山石よりも堅固だったのかも知れません。

磐田文庫基礎石の窪み 石垣の隅石は、楕円形の石の長短を交互に積む算木積みの工法。多くの石の表面の鉄分が酸化して錆色となり、風情を増しています。

石板と蝋石 正面の石段は伊豆石。掛塚湊経由で運ばれた伊豆石ですが、ここで使われているのは安山岩系の硬い石ではなく、凝灰岩系の軟らかいもの。加工はしやすいようですが、雨水によって風化した皿状の窪みが目立ちます。

 そして、旧見付学校内で展示されている石盤(黒色頁岩)と石筆(滑石)。石盤を頭にぶつけて割るのだけは絶対にやめてください。



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