2019年08月04日
『半分、青い。』岩村城下町を歩く⑮―桝形と高札場
岩村城下町のほぼ真ん中辺りに道が直角に二度曲げて造られた「桝形」が残っています。「桝形」は外からの見通しを遮り、侵入者の直進を妨げる役割を持つ曲がり角。妻籠・馬籠宿ではさらに自然の高低差を利用した「桝形」が造られていましたが、岩村の「桝形」は湖西市の白須賀宿の「曲尺手(かねんて)」と同じように高低差はありません。
現地看板の古地図を見れば、かつては土塁や木戸も設けられていたことも分かりました。
「桝形」には高札場も設けられていました。そもそも高札場とは、幕府や領主が決めた法度( はっと)や掟書(おきてがき)などを木の札に書いて掲示する場です。
現地看板の古地図を見れば、かつては土塁や木戸も設けられていたことも分かりました。
「桝形」には高札場も設けられていました。そもそも高札場とは、幕府や領主が決めた法度( はっと)や掟書(おきてがき)などを木の札に書いて掲示する場です。
人目を惹くように高く掲げておくから「高札」と呼ばれたようですが、「禁制」とか「定」とか記された板に、「これを禁ずる」「違反者を罰する」などが列記され、人々を見下ろすように掲げられた「高札」には、その気はなくても支配者の威光を示していたように感じられました。