2018年10月15日
写真で振り返る水窪の林業②―古い写真に残る川狩り

撮影された年代は分かりませんので、すでにトラックを使った陸運も始まっていたのかも知れませんが、北遠の道は自動車用に出来ていたわけではありません。人が歩いたり、牛や馬が荷を運ぶ程度の道では、木材を陸運するなど夢のまた夢。あくまでも、川を使った水運が主流です。
これも、やはり西渡辺りの水窪川だと思いますが、伐採した木材を1本1本川に流す「バラ流し」の方法。川底が浅かった水窪川では、「鉄砲堰」と呼ぶ堰を設けて木材と水とを溜め、水が溜まったら一気に放出し、木材を流す「鉄砲出し」の方法が採られていたのかも知れません。

食料増産や日本の近代化により、川下の人口が急増した時代。これらの木材が都市部の家を建て、橋を架けたのだと思います。
木材の取引が成立すれば、水窪の街で芸者衆を呼んでの大宴会。何でも木で作られた時代には、山持ちの旦那は他人が羨む「おだいさま」。林業に従事することで、山間地にも多くの雇用がありました。