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2017年07月17日

光明電気鉄道の面影⑥―見返峠・出迎坂

県道44号磐田天竜線脇の未利用地 気賀坂トンネルで気がかりなのは、「けがざか」の名。浜松市北区細江町気賀で生まれ育った私は、ついつい「きがざか」と読んでしまいます。

「見返峠 出迎坂」の碑 浜松市北区細江町気賀の読みも、かつては「けが」。旧国鉄二俣線「気賀」駅が出来た時、「けが」は「怪我」に通じるとして「きがえき」と読むように変更し、地域名も「けが」から「きが」へと読み替えられた経緯が残っています。

 名前はともかくとして、現在トンネルが埋められているのかどうかは気になります。埋められていたとしても、トンネルの上の地盤は固くはないはず。

見返峠・出迎坂 その心配もあってか、県道44号磐田天竜線はトンネルの真上を避けるようにカーブを切り、トンネル上は道路脇の未利用地となっています。そして、気賀坂のカーブ箇所には「見返峠 出迎坂」の碑が。

 解説看板によれば「戦時中、多くの青壮年はふる里を後に出征し、やがてその任を終えて帰還した。この坂は、出征勇士にとってふる里に名残りを惜しむ見返坂であり、無事帰郷を迎える出迎坂であった。」とあり、出征兵士にとっても、やはり「けがざか」の名には抵抗があったことが窺われます。



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