2017年07月14日

光明電気鉄道の面影③―西光寺前

西光寺前 かつての鉄路跡が、現在は道路になっていると勘違いしてはいけないことは前回紹介した通り。見付の西光寺前でも、道ではないところに線路は敷かれ、その跡地も道にはなっていません。

 西光寺南で、かつての鉄路は今は民家の庭になってはいましたが、側溝は道から左へカーブするように逸れて西光寺の前を通り、北では家と家との細い間がかつての鉄路の跡のようです。

西光寺前 「新中泉」駅を出た電車は、田の広がる沼地だった今之浦から少し高い磐田原台地の縁を走り、「遠州見付」駅から先も台地の最上部には上がりません。それは、この後、田んぼの中に造られた豊田町の「加茂東」駅まで気賀坂を下らなければならないため。

西光寺前 大正15年(1926)4月に光明電気鉄道の起工式が行われ、測量はコースを決めるだけはなく、高低差も計り、ある場所では高さを削り、またある所では堤を築き工事は進みました。「田川」駅までの工事が完了して開業するまでの期間は約2年半。しかも、電車ですから架線を設置し、電気を引かなくてはなりません。

 当時は、まだ電気の配電供給が始まったばかり。天龍電力が川瀬発電所を完成されたのは明治41年(1908)11月。大正11年(1922)には早川電力、さらに同14年(1925)には東京電燈に吸収合併されましたので、光明電鉄に電力を供給した当時は東京電燈だったことになります。



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