2022年07月05日
旧東海道御油宿から赤坂宿まで歩く⑫―大橋屋
赤坂宿で現在も江戸時代の面影を伝えている旧旅篭屋は大橋屋。現在の大橋屋さんは、文化6年(1809)の赤坂宿大火以降に建てられたと考えられているようです。
かつて、赤坂宿には83軒の旅篭屋があったとのこと。歌川広重によって描かれた「隷書東海道五十三次」の赤坂宿の風景は、軒を連ねた旅篭屋の店先で、旅人たちの手を引く「飯盛女」たち。さぞや賑やかな表通りだったのでしょう。
大橋屋さんの江戸時代の屋号は「鯉屋」。所有者が藤家⇒高田家⇒青木家と変わり、屋号も「大橋屋」へ。平成27年(2015)に青木家より寄贈され、その後、江戸時代の旅籠建物の姿を再現することを基本とした保存修理工事を経て、現在、公開されていましたので、芭蕉の句が染め抜かれた暖簾をくぐり、中を見せていただくことができました。
かつて、赤坂宿には83軒の旅篭屋があったとのこと。歌川広重によって描かれた「隷書東海道五十三次」の赤坂宿の風景は、軒を連ねた旅篭屋の店先で、旅人たちの手を引く「飯盛女」たち。さぞや賑やかな表通りだったのでしょう。
大橋屋さんの江戸時代の屋号は「鯉屋」。所有者が藤家⇒高田家⇒青木家と変わり、屋号も「大橋屋」へ。平成27年(2015)に青木家より寄贈され、その後、江戸時代の旅籠建物の姿を再現することを基本とした保存修理工事を経て、現在、公開されていましたので、芭蕉の句が染め抜かれた暖簾をくぐり、中を見せていただくことができました。