2022年07月07日
旧東海道御油宿から赤坂宿まで歩く⑭―飯盛女の墓
写真は、御油町の東林寺にある「飯盛女の墓」。「飯盛女の墓」については、「大橋屋」を案内していただいた人から教えていただきました。
歌川広重によって描かれた「隷書東海道五十三次」でも紹介したように御油と赤坂宿は「留女(とめをんな)」が多くいる宿場町としても有名だったとのこと。「御油や赤坂吉田がなくばなんのよしみで江戸通い」「御油や赤坂吉田がなけりゃ親に勘当うけやせぬ」などの俗謡が歌われたほどの歓楽街に身を売った女が、仲間数人と共に入水自殺を図り、それを悲しんだ主人が、彼女らのために造ったという墓だそうです。
墓石は5基。墓の前には花が供えられ、地元の人たちからは郷土の歴史とともに、大切に護られているようです。
歌川広重によって描かれた「隷書東海道五十三次」でも紹介したように御油と赤坂宿は「留女(とめをんな)」が多くいる宿場町としても有名だったとのこと。「御油や赤坂吉田がなくばなんのよしみで江戸通い」「御油や赤坂吉田がなけりゃ親に勘当うけやせぬ」などの俗謡が歌われたほどの歓楽街に身を売った女が、仲間数人と共に入水自殺を図り、それを悲しんだ主人が、彼女らのために造ったという墓だそうです。
墓石は5基。墓の前には花が供えられ、地元の人たちからは郷土の歴史とともに、大切に護られているようです。