2022年06月28日
旧東海道御油宿から赤坂宿まで歩く⑤―見附跡と「狂歌入東海道 赤坂」
「御油ノ松並木」を抜けてさらに西に向かうと、「見附跡」の看板が掲げられている場所に到着しました。ここが赤坂宿の東の入口。解説看板によれば・・・
見附跡
見附(みつけ)とは、宿場の入口に石垣などを積み、出入りする者を見張ったところである。
赤坂宿見附は、東西に設けられ、東は東海道を挟んだこの辺りの両側にあり、西は八幡神社入口附近の片側にあった。
『赤坂旧事記』によれば、寛政八年(一七九六)大寒辻甚太郎のとき、東側の見附を関川神社の前に移築したとされている。
明治七年(一八七四)に取り壊された。
双六(すごろく)と
とも尓(に)
ふり出須(す)
髭奴(ひげやっこ)
名を赤坂の
宿尓(に)とゞめて
どうやら、大名行列を先導する役の奴たちは、決められた宿から抜け出し、丁半博打で一夜を明かしていたようです。