2020年10月30日
彫師・後藤岩五郎作の龍を訪ねて④―「嘉永」と「後藤岩五郎」の文字
「金地院観音堂『圓通閣』向拝虹梁上の龍の裏側には、『後藤岩五郎』の名前が刻まれた木札のようなものがあるよ」と教えられ、金地院を再訪したのは9月28日。何コマかの写真を撮り拡大してみたところ、木札の左端に「○藤岩五郎彫」と読める字が刻まれていました。(*写真をクリックすると拡大して文字が読みやすくなります)
さらによく見てみると、木札の右端には「嘉永」「辛亥」の文字も。「辛亥」の文字から類推すると、嘉永4年(1851)となり、建立された享保14年(1729)よりは後ですが、明治9年(1876)の火災よりは前。「東都産」とは東京生まれの意味。
岩五郎が彫った龍には、火災の飛び火による被害は及ばなかったということになります。
さらによく見てみると、木札の右端には「嘉永」「辛亥」の文字も。「辛亥」の文字から類推すると、嘉永4年(1851)となり、建立された享保14年(1729)よりは後ですが、明治9年(1876)の火災よりは前。「東都産」とは東京生まれの意味。
岩五郎が彫った龍には、火災の飛び火による被害は及ばなかったということになります。