2020年03月10日
宮之一色から源平新田まで旧東海道を歩く①―宮之一色一里塚
現地に建てられていた解説看板によれば・・・
江戸時代になると、東海道や中山道などの街道が整備され、これにより多くの人々が安全に旅することができるようになり、荷物も多く、早く届けられるようになりました。
一里塚は、旅人に距離を知らせるために一里(約4キロ)ごとに、街道をはさんで両側に一基ずつ作られました。一里塚の上には、榎や松などが植えられ、その木蔭は多くの旅人の休憩する場所となりました。また、かごや荷物を運ぶ料金の目安としても利用されたようです。ここ宮之一色一里塚は、東海道の起点である江戸(東京都)日本橋から数えて63番目の一里塚です。現在の一里塚は昭和46年に復元されたものです。
当時は、西に間の宿といわれた池田宿と天竜川の渡船場を、東に見附宿をひかえて、さぞ多くの旅人や荷物が行き交ったことでしょう。一里塚の西に点在する松並木がその名残を今に伝えます。
近頃、車で旅行をする時にはカーナビが現在地を表示してくれますが、江戸時代の旅人たちにとっては一里塚が里程の目印。ローマ帝国におけるマイルストーンと同じですね。