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2020年03月19日

宮之一色から源平新田まで旧東海道を歩く⑩―天龍橋跡

「天龍橋跡」の碑 森下から天竜川堤防に向かう道に松並木はありませんが、イヌマキの生垣が似合っています。そして、「天龍橋跡」の碑が建てられていたのは源平新田。現在の堤防からは、少し離れた場所でした。

 現地看板によれば・・・

「天竜橋跡」の解説看板 天竜川は明治の初年まで長い間渡船によって通行をしていたが、明治六年(一八七三)架橋の第一段階として船橋の計画が中野町村側から出され、翌明治七年(一八七四)二月、源平新田から中野町村に船橋が完成した。明治九年になりこれが木橋に架け換えられ、極めて便利な交通路となった。

 全長六四六間(一一六三米)巾二間(三.六米)天竜橋も池田橋と同じように長い間「はしぜに」を徴収していた。昭和八年、国道に現在の鉄橋が完成したので、池田橋とともに名物の木橋は廃止され、取り除かれた。

堤防から天竜川を見る この木橋の位置を末長くとどめるため、昭和四十八年三月、教育委員会はこの碑をたてた。(なお、天竜川船橋の記念碑は橋の西側の中野町に建てられている。


 「船橋之碑」については「東海道・中野町を歩く④」で紹介した通り。源平新田の「天龍橋跡」の碑は、帆掛け船の形のモニュメントでした。

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