2020年03月13日
宮之一色から源平新田まで旧東海道を歩く④―「長森立場」と「長森かうやく」
長森立場(たてば)
江戸時代、宿場と宿場をつなぐ街道筋の主な村(間村)には、立場(たてば)という旅人や人足、駕籠かき、伝馬などの休憩所が設けられていました。
明治時代以後は人力車や馬車などの発着所、またその乗客・従業員の休憩所となりました。
ここから数十メートル東へいった所に、立野村字長森の立場があったと伝えられています。
立場は、掛茶屋、立場茶屋などと呼ばれる茶屋を兼ね、旅人たちはお茶を飲んだり、名物の餅などを食べて休憩しました。また、馬もここで湯や麦などを補給しました。
長森かうやく
「長森かうやく」は、江戸時代の前期万治年間(一六五八~一六六〇)から、山田与左衛門家で作り始められた家伝薬で、冬季にできる「あかぎれ」や切り傷などに抜群の効能があるとして、近隣の村人は元より、参勤交替の大名行列の一行や東海道を上下する旅人たちの土産品として大変な人気を博しました。
山田家には今でも江戸時代に作られた桜の木の一枚板の大看板があります。この看板は、高さ一.四メートル、幅七三センチメートル、厚さ三.五センチメートルという立派なもので、これには「御免 御むそう 長もりかうやく 本家 山田与左衛門」と刻まれており、中央の上には十六弁の菊の紋章も刻まれています。
こうやくの製法は、当時の主人山田与左衛門が夢枕にたった神様のお告げによって始めたと伝えられ、当主が代々受け継いできましたが、現在は作られていません。製法は極秘中の極秘とされ、たとえ妻であっても明らかにされることは許されませんでした。
昔の歌に
「諸人のよき評判や長森の 諸病に菊の五もんかうやく」
と詠まれています。
平成十八年三月 磐田市教育委員会
「長森」は天竜川にさらに近づいた辺りの字名。いずれも、私のまったく知らなかったことです。