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2019年12月25日

東海道・中野町を歩く⑤―中野町銀行跡

「中野町を考える会」の解説看板中野町銀行 跡

 中野町は、江戸時代には東海道筋の川越しの集落として、多くの旅人たちで賑わいました。また、明治から大正時代には、天竜川の船運を利用した木材や鉱石の流通基地として隆盛を極めました。

 明治十五年、この場所で「竜西社」が結成され二年後に「中野町銀行」が誕生しました。その後、西遠銀行と合併し、遠州銀行を経て、今の静岡銀行に吸収された。昭和四十九年まで建物があり、現在は地面に埋もれたレンガに、かすかに当時の面影を見ることができます。


埋もれたレンガ これは、「中野町を考える会」が建てた解説看板の内容。湊町として繁栄した掛塚に掛塚銀行が設立されたのは明治14年(1881)。その後、西遠銀行へと統合され、現在の静岡銀行となったのは中野町銀行と同じ経過です。



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