2019年12月24日

東海道・中野町を歩く④―船橋・木橋跡

「船橋之碑」 六所神社裏手には「船橋之碑」が建てられていました。 建立は「明治二十九年一月」ですが、明治天皇が78艘の舟を並べてその上に板を並べて造られた仮設橋を渡ったのは明治元年(1868)。

「中野町を考える会」の解説看板 「中野町を考える会」の解説看板によれば、「その後七年には本流の舟橋と州の木橋からなる最初の橋がこの場所に完成し、街道の往来は格段に便利になりました。」とあり、それ以前は、廣重の保永堂版東海道「東海道五拾三次之内見附」(1833~35)や行書東海道「東海道五拾三次之内見附 天龍川舟渡し」(1841~42)に描かれているように、渡船が唯一の天竜川を渡る手段だったのです。

保永堂版東海道「東海道五拾三次之内見附」
保永堂版東海道
「東海道五拾三次之内見附」
行書東海道「東海道五拾三次之内見附 天龍川舟渡し」
行書東海道
「東海道五拾三次之内見附 天龍川舟渡し」

「舟橋跡」「天竜川木橋跡」の標柱 近頃では橋を渡るのは当り前と考えてしまいがちですが、洪水にも流されない橋を架けるのは今でも大変なこと。舟橋、木橋、石橋、鋼橋と、人類が自然に抗いながら長い歴史を経て磨かれて来た土木技術なのです。



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