2019年11月29日
藤次郎翁の業績を辿り、北遠ドライブ①―王子製紙株式會社氣田分社
第一国立銀行の設立に貢献し頭取に就いた渋沢栄一が、官需であった地券用紙や紙幣、新聞紙などの印刷用紙などの需要に応えるため、気田の薪材、川運に目をつけ、日本人で最初の製紙技師、娘婿の大川平三郎に王子製紙気田工場の操業を委ねたとのこと。
そして、大川平三郎の腕を見込まれ、現在の浜松市天竜区春野町に王子製紙気田工場を建設したのが、掛塚・十郎島の宮大工であった曽布川藤次郎翁であったことは、すでに紹介した通り。
11月22日、藤次郎翁の名が残る業績地を訪ね、曽布川さんたちと北遠に車を走らせました。
この日は、あいにくの天気。浜松市立春野中学校内に残る赤レンガの遺構は雨の中でした。