2017年05月09日
北遠の王子製紙①―明治22年操業開始
日本最初の製紙会社、王子製紙の創業は明治8年(1875)。木材パルプによる製紙工場の適地を全国に探した結果、明治22年(1889)、春野町に気田工場が操業を開始しました。
春野中学校には、旧王子製紙気田工場の通称「赤レンガ製品倉庫」が今でも残っています。その外には昭和29年(1954)10月に建立された「木材パルプ発祥之地記念碑」が建ち、「グラインダー・ストーン」と呼ばれたパルプ用の石臼が展示されています。
その説明によると・・・
明治22年から大正12年(1923)まで旧王子製紙気田工場では樅(もみ)・栂(つが)を原料として砕木パルプが作られていた。
砕木砥石(グラインダー・ストーン)は砕木パルプを製造する機械(ポケット型砕木機)の一部分として大正6年(1917)ごろ使われており、この石臼状の砕木砥石をモーターに直結した中軸に取付けて毎分200~300回転の速さで回転させ、三ヶ所の箱(ポケット)の蓋を開け、そこから長さ60センチ位の丸太を入れ、水を掛けながら回転している砥石面に丸太を水圧シリンダーで押付けて磨砕し、砕木パルプを作っていました。
回転する巨大な砥石に丸太を押し付け、摩砕してパルプにする方法で、木材からの製紙法としては19世紀半ばからとされ、もっとも古いと言われています。大正12年、同工場が閉鎖され、その跡に気多村立気多中学校の校舎が建設され、「赤レンガ製品倉庫」は当時のまま、現在の春野中学校に引き継がれています。
春野中学校には、旧王子製紙気田工場の通称「赤レンガ製品倉庫」が今でも残っています。その外には昭和29年(1954)10月に建立された「木材パルプ発祥之地記念碑」が建ち、「グラインダー・ストーン」と呼ばれたパルプ用の石臼が展示されています。
その説明によると・・・
明治22年から大正12年(1923)まで旧王子製紙気田工場では樅(もみ)・栂(つが)を原料として砕木パルプが作られていた。
砕木砥石(グラインダー・ストーン)は砕木パルプを製造する機械(ポケット型砕木機)の一部分として大正6年(1917)ごろ使われており、この石臼状の砕木砥石をモーターに直結した中軸に取付けて毎分200~300回転の速さで回転させ、三ヶ所の箱(ポケット)の蓋を開け、そこから長さ60センチ位の丸太を入れ、水を掛けながら回転している砥石面に丸太を水圧シリンダーで押付けて磨砕し、砕木パルプを作っていました。
回転する巨大な砥石に丸太を押し付け、摩砕してパルプにする方法で、木材からの製紙法としては19世紀半ばからとされ、もっとも古いと言われています。大正12年、同工場が閉鎖され、その跡に気多村立気多中学校の校舎が建設され、「赤レンガ製品倉庫」は当時のまま、現在の春野中学校に引き継がれています。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:59│Comments(0)
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