2019年04月29日
「民俗の宝庫」水窪を訪ねて①―山住神社の葵紋

石の鳥居脇に立つ、神社の表札とも言うべき社号碑(社名碑)の「大日本總鎮守」と「山住神社」との間には、徳川家の家紋「三つ葉葵」が。これは、山住神社と徳川家康との浅からぬ関係を示すものです。
言い伝えによれば・・・。
元亀3年(1572)、家康は三方ヶ原で武田信玄との合戦に敗北し、山住神社に逃げ込みます。やがて、武田軍の追っ手が迫ると空がにわかに曇り、辺りは夕闇のようになりました。すると、どこからとなく山犬の鳴き声が湧き上がり大音響となりました。この声に恐れをなした武田軍は退散。難を逃れた家康は山住神社を大変崇拝したと言われます。

これが、社号碑に「三つ葉葵」が掲げられている理由。境内の幟や神社幕にも「三つ葉葵」が染め抜かれていました。