2019年07月09日

天竜川のプロペラ船⑦―「遠州秋葉自動車」

「遠州秋葉自動車株式會社」発行の「秋葉山御案内 自動車・飛行艇」の6つ折パンフレット 天竜川のプロペラ船を運航していた「遠州秋葉自動車」のルーツは、大正末期に運行を開始した水窪線・佐久間線。昭和12年(1937)、この路線を買収して誕生したのが「遠州秋葉自動車」。昭和18年(1943)戦時統合により、遠州電気鉄道・浜松自動車・掛塚自動車・遠州乗合自動車・気賀自動車と合併し「遠州鉄道株式会社」となり、現在に至っています。

 「遠州秋葉自動車株式會社」発行の「秋葉山御案内 自動車・飛行艇」の6つ折パンフレットを見ると、表紙には、サクラの季節、秋葉神社と秋葉寺の建つ秋葉山を背景に、懐かしいボンネットバスと天竜川を行く飛行艇(プロペラ船)のイラストが描かれています。

 表面の地図は、秋葉山への路線案内となっています。当時の路線は「笠井⇔二俣」「二俣⇔犬居」「二俣⇔西川」「中泉⇔二俣」「掛川⇔二俣」。「濱松⇔笠井」は「連結自動車線」となっていますので、他社の路線だったのでしょう。

 「飛行艇発着所」は、「二俣」の「天竜橋」。「当社営業航路線」の破線は「西渡」まで描かれていますので、天竜川のプロペラ船がこれに当るようです。

戸口の激流 現在の「天竜浜名湖鉄道」、当時の「二俣線」は、昭和10年(1935)に掛川 - 遠江森間を開業。その後、路線を延ばしましたが、掛川⇔新所原間が全線開通したのは昭和15年(1940)です。この案内図に「二俣線」は描かれていません。推測ですが、このパンフレットが出来たのは、「遠州秋葉自動車」が設立された昭和12年から「二俣線」が全通した同15年の間だったのではないでしょうか?「静岡縣二俣町」が本社所在地だったようです。電話番号は「115」「125」となっていますが、電話をかけても誰も出ませんよ。

 パンフレットと絵葉書は、磐田市にお住まいの佐口行正さん収集のコレクションです。



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