2018年10月06日
久根鉱山名合支山遺構を訪れる①―天竜川対岸のコンクリート遺構
龍山から佐久間に入る少し南、国道152号から天竜川の対岸を見やるとコンクリートで固められた護岸に巨大なコンクリート製の土台のようなものが見えます。
これは、昭和12年(1937)から同45年(1970)まで採掘されていた久根鉱山名合支山の鉱石を運び出すための設備の一部。現在は解体されましたが、護岸の上にはホッパーと呼ばれる鉱石の貯蔵施設があったとのことです。
一時的には、本山である久根を凌ぐ生産量を誇っていましたが、昭和44年(1969)に断層に当たり、それ以上の採掘は断念。操業開始から閉山まで、わずか30数年。活況期に採掘に従事していた人たちは佐久間を離れ、全国に散らばってしまいました。
これは、昭和12年(1937)から同45年(1970)まで採掘されていた久根鉱山名合支山の鉱石を運び出すための設備の一部。現在は解体されましたが、護岸の上にはホッパーと呼ばれる鉱石の貯蔵施設があったとのことです。
一時的には、本山である久根を凌ぐ生産量を誇っていましたが、昭和44年(1969)に断層に当たり、それ以上の採掘は断念。操業開始から閉山まで、わずか30数年。活況期に採掘に従事していた人たちは佐久間を離れ、全国に散らばってしまいました。
現在、現地に残る遺構のうち、誰もが目にすることができるのは、このコンクリート建造物だけ。古い写真に写るコンクリート壁には、「古河鑛業株式會社 久根鑛業所 名合鑛山」の文字をはっきりと見ることができます。