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2018年10月08日

久根鉱山名合支山遺構を訪れる③―古い写真

久根鉱山名合支山の住宅や社宅 以前、山香でお借りした写真データを調べていたところ、もしかしたら先日訪れた大輪の山に残っていた鉱員住宅跡と思われる建物群が写っているものがありました。

 右の写真がそれ。山の斜面に石組みをし、同じ規格の住宅が並んでいます。注目していただきたいのは、左上に写っているコンクリート基礎の上に立つ2階建ての長屋。「アパート」と呼ばれていたそうです。

 その右横の建物は「クラブ」と呼ばれ、卓球やビリヤードなどを楽しむ娯楽場。その横にグランドが、その下には小さなプールもあったそうです。

 先日、大輪の山の中で見たコンクリート遺構が、これと大変よく似ています。すぐ横に廃屋が残り、1段高い位置にかつての山神社、八坂神社が祀られていました。

鉱員住宅遺構 かつて、ここには、久根鉱山の名合(なこう)支山で働く人たちの住宅や社宅があったのです。写真に写る住宅の窓はとことどころ開放され、洗濯物らしきものも写り、生活の匂いがします。

 写真の右上の住宅があるところは「横畑」そのほかは「椎の平」。また、右下の白い建物は「会館」と呼ばれ、当時、有名な芸能人やラジオ放送「三つの歌」「とんち教室」などの公開収録、映画上映などが頻繁に行われていたそうです。

 天竜川を遡った北遠には、日本の近代化とともに、軍国主義の台頭を支えた鉱山の歴史があったことを忘れてはいけません。



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