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2019年01月03日

「金吾」奥山金吾正定則について⑪―水窪ゆかりの金吾八幡善神

「郷土誌 磐南文化 第6号」 磐田市歴史文書館を訪れ、名倉愼一郎さんに教えを乞うと、示していただいた「郷土誌 磐南文化 第6号」(磐南文化協会発行)に市川恒氏が著わした「匂坂城と金吾八幡」の記述が見つかりました。

「郷土誌 磐南文化 第6号」 内容を抜粋すれば「匂坂家11代六郎五郎長能は、今川家の命により数年間を水窪の奥山家で過ごしていた。その時、奥山家の始祖である奥山金吾正定則が死後、金吾八幡として崇拝されているのを羨ましく思い、自らも死後は匂坂の八幡社の合祀し、以後これを金吾八幡と称するように命じた」とのこと。

岩田堂の内部 ところが、ご神体は仏体であったため明治7年(1874)、浜松県の指揮により増参寺に移した、というのが、お寺に金吾八幡善神として祀られるに至った経緯です。

 つまり、思いがけずに私が出会った金吾八幡社とは、水窪ゆかりのものであったということが分かり、一件落着。再び、岩田堂の中を覗き込んではみましたが、金吾八幡善神は真ん中でしょうか?

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