
松岡萬(よろず)が祀られている池主神社(松岡霊社)は大池の東南、今之浦川に近い場所に水神社と並んで鎮座。決して大きな神社ではないのですが、短い参道には2基の石鳥居が立っています。
池主神社の創建は明治9年(1876)ですから、天保9年(1838)生まれの松岡が38歳の時。死後に神社に祀られたのではなく、生前に祭神とされたのです。

当時の明治政府が目指していたのは殖産興業。西洋の列強に対抗し、産業や資本主義を育成し国家の近代化をひたすら推進しようとしていました。その政策に乗るようにして大池の干拓が計画され、大池は利権屋たちの強引な手法により、開拓と言う名の自然破壊が進もうとしていました。

その計画に意を唱え、役所に開拓の取り止めを願い出た地域の総代5人が捕らえられる事件が発生したのは明治3年(1870)。当地の水利官であった松岡はこれらの農民の訴えを聞き、大池の実情を調査。農民たちの言い分と開拓の中止を政府に建言し、翌4年(1871)認可寸前だった開拓事業を阻止し、農民を救ったのでした。
境内には、松岡の肖像のブロンズ製レリーフが。大池の消失は灌漑水源を失うことになります。米作りが出来なくなる危機を救った松岡への感謝の気持ちが、この神社には満ちていました。