2017年11月05日
奥山方広寺を訪ねる⑮―三重の塔
方広寺の三重の塔を訪ねたのは小学生の頃以来。この塔は、大正12年(1923)、京都の篤志家山口玄洞氏の寄付により建立されたものとのこと。山口氏は大阪でラシャ問屋を営み、第一次世界大戦中に財をなした実業家で帝国議会議員も務めた人物。
方広寺の間宮英宗管長の忠告で好景気のうちに商売を手控えたことが功を奏し、後に停戦とともに企業倒産が相次ぐ中、忠告を守った山口氏は難を免れ、社業はますます発展したと伝えられています。
そんな故事から、「倒産よけの塔」として知られるようになった三重の塔には、全国の財界人がお参りに来る場所となったそうです。
古い絵葉書「遠州奥山 半僧坊三重ノ塔」の写真には組まれた足場が写っていますので、この絵葉書が発行されたのは、まさに建築中だったことが分かります。
方広寺の間宮英宗管長の忠告で好景気のうちに商売を手控えたことが功を奏し、後に停戦とともに企業倒産が相次ぐ中、忠告を守った山口氏は難を免れ、社業はますます発展したと伝えられています。
そんな故事から、「倒産よけの塔」として知られるようになった三重の塔には、全国の財界人がお参りに来る場所となったそうです。
古い絵葉書「遠州奥山 半僧坊三重ノ塔」の写真には組まれた足場が写っていますので、この絵葉書が発行されたのは、まさに建築中だったことが分かります。