2017年05月30日
三信鉄道記念寫眞帖⑪―「應召者」と「新嘉坡陥落」

「應召者=応召者」とは、召集令状を受け軍務に就くために指定地に行った人のこと。他のページには、昭和18年当時、三信鉄道の業務に就いていた人たちが制服姿の集合写真などで紹介されていますが、「應召者」のページには学生服姿も含まれています。
「電氣課」12人、「保線課」「運輸課」13人、「本社員」1人。2ページ目の背景には、当時の新聞が敷かれ、その見出しには「新嘉坡陥落」の文字が躍っています。

・・・などと書くと、まるでこのブログが「大本營發表(十五日午後十時十分)」みたい。
「應召者」39人のうち、何人が生きて本土を踏むことができたのでしょうか?「百間洞ヨリ見タル聖岳ノ全貌」を再び見ることができたのは・・・?
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