2017年04月11日
山香・浅間山に登る⑬―鉱山師

西渡の大井橋を渡ったところにある看板には、
「むかし、福沢の里に、やまんばが住んでおったそうな。機織りや子守りをしてくれる反面、牛や馬や人間の生き血を吸うので退治してしまうことになった。
やまんばがこの西渡に遊びに来た時、好物のそば団子を出してやった。中にこっそり焼いた石が入れてあった。熱くて苦しみもがき始めた時、水の代わりに油をあげたので、やまんばはこらえきれず天竜川に身を投げたそうな。」と書かれています。

「むかし、この里に、やまんばが住んでおったそうな。機織りや子守りをしてくれる反面、牛や馬や人間の生き血を吸うので退治してしまうことになった。
ある時、西渡という里にやまんばが遊びに行った。そこで里の衆は相談して、やまんばの鉱物のそば団子に焼け石を入れて出してやった。熱くて苦しむやまんばに水の代わりに油をあげたので、やまんばはこらえきれず天竜川に身を投げたそうな。」とされています。
気になるのは、どちらの話でもそば団子に入れたのが焼いた石だったということ。これは、佐久間の山姥伝説に限っているわけではないのですが、この話が鉱山師によって伝えられたとするなら、焼いた石とは鉄や銅の精錬作業に由来しているとは考えられないでしょうか?