2017年04月07日
山香・浅間山に登る⑨―社殿を取り巻く石仏群
浅間神社社殿の周りには、社殿に顔を向けるように7基の石仏が並べられていました。
神社の周りを取り巻く石仏群には若干の違和感はありましたが、「浅間大明神」と神仏習合の神号を名乗っているのですから、不自然なことではないのです。
7基の石仏は舟形光背に仏の姿を浮彫りにされており、向拝の向かって右側には「嶽観世音」とか「嶽阿弥陀」「嶽文殊」「嶽薬師」など「嶽○○○」の文字が刻まれています。「嶽」は「山」。「山」と言えば富士山ですから、「嶽○○○」の「嶽」の字は、富士山信仰を意味する「浅間大明神」を示しているのではないでしょうか?
7基の石仏のうち「嶽延命地蔵」と刻まれた石仏には、「宝暦五亥年立之」の文字も見られます。宝暦5年は西暦1755年に当たり、宝永4年(1707)の富士山大噴火から数えて48年後のこと。
この噴火が富士山を怖れる信仰へとつながり、修験者を通して佐久間にももたらされ、岩だらけの浅間山に荒ぶる神の姿を重ね合わせ、浅間山の開山につながったと考えます。
神社の周りを取り巻く石仏群には若干の違和感はありましたが、「浅間大明神」と神仏習合の神号を名乗っているのですから、不自然なことではないのです。
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この噴火が富士山を怖れる信仰へとつながり、修験者を通して佐久間にももたらされ、岩だらけの浅間山に荒ぶる神の姿を重ね合わせ、浅間山の開山につながったと考えます。
Posted by AKG(秋葉観光ガイド)の斉藤さん at 05:12│Comments(0)
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