袋井市の万葉歌碑を訪ねる③―袋井中学校
さて、「袋井市の万葉歌碑を訪ねる」の3番目の立ち寄り地。袋井市立袋井中学校の校庭。2首の歌が銅板に浮彫りにされた歌碑は、もちろん許可をいただいた上での撮影です。
等伎騰乃 波奈波佐家登母 奈尓須礼曽 波々登布波奈乃 佐泥己受祁牟
右一首防人山名郡丈部真磨
等倍多保美 志留波乃伊宗等 尓閇乃宇良等 安比弖之阿良波 己等母加由波牟
右一首同郡丈部川相
解説看板によれば・・・
「時々の花は咲けども何すれそ 母とふ花の咲き出来ずけむ」(訳 季節季節に花は咲くのに、どうして母という花は咲かないのだろうか。咲けば手で折ってでも持ってきたのに)と「遠江白羽の磯と 贄の浦と あひてしあらば言も通はむ」(訳 遠江の白羽の磯と贄の浦とのように、ここと故郷が向かいあっているのなら、言葉も通じあうだろうに。遠くへだたっていては思いがつのるばかりだ)。
あれ?「白羽」に新たな立候補地?と思われる人もいるかも知れませんが、袋井中にこの2首の歌碑が建てられているのは「この歌碑の防人は山名郡の丈部真磨と丈部川相で、山名郡は現在の袋井市域にあたる古代の行政区となります。丈部川相は、名前が現在の袋井市川井の地名と同名となることから、川井地区の出身者と考えられます。 平成十二年八月 袋井市教育委員会」とあり、「白羽」の論戦とは関係ありません。
・・・ということで、旧袋井市の万葉歌碑はこの1基だけ。あとの2基は旧浅羽町に建てられたものでした。
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