御前崎の万葉歌碑を訪ねる①―「白羽=御前崎市白羽」説
「万葉集」(巻19‐4324)、丈部川相が詠んだ「遠江 白羽の磯と 相ひてしあらば 言も通はむ」の歌の「白羽」については、磐田市白羽、浜松市南区白羽町のほか、御前崎市白羽も候補に名乗りを上げています。
この歌が刻まれた碑は、磐田市と浜松市のものを紹介しましたが、御前崎の碑も紹介しなければ公平ではないと思い立ち、御前崎市白羽の海岸道路沿いに建てられた歌碑を訪ねました。
歌碑はすぐに見つかり、刻まれていた歌は「等倍多保美 志留波乃伊宗等 尓閇乃宇良等 安比弖之阿良婆 己等母加由波牟」。そして、解説看板には・・・
萬葉歌碑
昭和五十五年九月十八日建立
白羽の磯の歌は、万葉集二十巻に収められている。
作者は、丈部川相(はせつかべのかはひ)現在の 袋井市北部一帯の山名郡の人である。
今から千二百年前の天平時代の一防人の短歌で、防人とは、築紫防衛のため、東国から派遣された農民兵士たちで、任期は三年、守備と農耕に従事した。 御前崎市教育委員会
・・・とあり、歌碑がここに建てられているということは、「志留波=白羽=御前崎市白羽」説。「遠江の白羽の磯と、贄の浦とが向かい合っていれば、言葉も通うだろうに」と切ない思いを詠んだ歌です。
「白羽」は「白砂の浜」に由来する地名。3ヶ所の候補ともに太平洋に面した地域ですから、1ヶ所に特定するのは難しいですね。
関連記事