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2020年02月05日

大井川川越遺跡を歩く③―八重枠稲荷神社

八重枠稲荷神社 「せぎ跡」の先にあったのは、赤い鳥居の八重枠稲荷神社。解説看板によれば・・・

 昔、ここは大井川の出し堤防があり、洪水の時には蛇籠に石を詰めて杭で固定し、これを幾重にも並べて、激流から村を守りました。八重枠稲荷の名前はここからきています。

八重枠稲荷神社 宝暦十(一七六〇)年に川越衆の安全と故事の排除を祈願して建立されたといいます。しかし、ここの神社の祭日は二月の初午の日である事からも建立当時の目的は、川で亡くなった人々の供養が主だったかと想像されます。


 ・・・とのこと。もちろん、五穀豊穣や大井川が難所として知られるようになっても、川越客が多く訪れてくれることを願い、掛塚の稲荷神社で見られるように、堤防に穴を開けるモグラ退治のため、天敵であるキツネを祀ったとも考えられます。

 社殿は文化九(一八一ニ)年と明治三十四(一九〇一)年に修繕されました。石積みは当時のままで、大井川の石を拾って亀甲型にして、積み上げたものです。

八重枠稲荷神社の石積み 川石は堅くて、手間がかかり、今では市内数ヶ所しかない職人の技法です。


 大井川の川原に行けばいくらでもある丸い川石は、比較的軟らかい部分が削ぎ落とされた後の堅い石。山石よりもずっと堅いのですが、加工するのも大変だったのです。



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