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2019年10月22日

「秋葉山に登るぞォォ!」下見ハイキング⑥―落下した「有栖川宮幟仁親王」の額

秋葉寺の仁王門 さて、もう1つの被害は秋葉寺の仁王門です。門の外側から見上げた時には気づきませんでしたが、裏側にあったはずの額が見当たりません。

仁王門の裏側 門の表側に掲げられているのは「秋葉大権現」の額で、裏側にあったのはそれより少し小さい「安政五年十月十一日 二品中務卿幟仁親王」の額。どちらも青銅製と思われる浮彫りです。

 つまり、「秋葉大権現」の文字を揮毫したのが「有栖川宮幟仁親王(ありすがわのみやたかひとしんのう)」という意味。錦の御旗を掲げ倒幕に向かった東征大総督・有栖川宮熾仁(たるひと)親王の父親です。

「安政五年十月十一日 二品中務卿幟仁親王」の額 明治34年(1901)、昭和18年(1943)、同25年(1950)の3回にわたる山林火災により、秋葉寺の本堂も鐘楼も失われてしまいましたが、仁王門だけは消失を逃れた文字通り火防の証。勅額に準ずる額でしたので戦時供出も免れ、引き続き再建された仁王門に掲げられていたという経緯。「有栖川菊」紋が浮き上がる、そんな歴史的にも貴重な額は、見るも無残な形で仁王門の脇に横たわっていました。

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