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2021年03月10日

北遠に残る「明善」の名①―瀬尻・高誉の「金原明善翁顕彰碑」

金原明善翁顕彰碑 元・ペンション「龍山ふるさと村」は、浜松市天竜区龍山村の瀬尻国有林内。すぐそばにある広場は、旧「瀬尻小学校高誉(たかよ)分校」の跡地。分校跡には「金原明善翁顕彰碑」が立つだけで、他には何も残されてはいません。

 大きな石碑の横には、「金原明善顕彰碑」と「金原明善の略歴」と題された解説板が立っていました。

 金原明善顕彰碑

 明治百年を記念して、昭和四十四年十一月七日村内河内沢に金原明善の偉業を称え顕彰碑を建立した。

 その後、平成七年度山村振興等農林漁業特別対策事業(ふるさと村広場整備工事)の実施に伴ない、明善ゆかりの地である瀬尻国有林内へ顕彰碑を移設した。

 金原明善の略歴

 天保三年六月七日浜松市安間町に生まれる。明治元年堤防御用掛けとなり以来毎年私財献金して治山事業に専心された。

 明治十八年十二月瀬尻(現在龍山村)官有林委託植林事業のため許可をとり、同十九年二月着手八百ヘクタールに杉桧三百万本を植林し、天竜美林地帯の基礎を築きあげた。


金原明善 高誉とは、瀬尻新開(しんかい)と旧開(きゅうかい)との間にあった小字の名。林業が栄えた時代には頃には児童を集めていましたが、林業の衰退とともに児童は減少。資料によれば昭和34年(1959)には28名とされていましたが、同36年(1961)には閉校。高誉も「ふるさと村」を残すだけで廃村に至りました。


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