2019年06月07日
村山浅間神社を訪ねる③―神仏習合
現在は主祭神として木花開耶姫を祀る村山浅間神社ですが、かつては京都の修験道本山派に所属した寺院の村山興法寺。富士山は日本古来の山岳信仰と本地垂迹説に基づく神仏習合(混淆)思想により、木花開耶姫は大日如来の垂迹とされ、境内には現在も大日如来を祀る大日堂が残されています。
大日堂の前には「水垢離場」も残され、石垣の上には修験道で大日如来の使者とされる不動明王が祀られています。
大日堂の前には「水垢離場」も残され、石垣の上には修験道で大日如来の使者とされる不動明王が祀られています。
神仏習合(混淆)思想によれば、山の山頂部は仏の住む世界と考え、山に籠って修行をすることにより、悟りを開くことにつながるとのこと。明治5年(1872)の「修験道廃止令」によって禁止されましたので、村山浅間神社に遺る修験道の面影は、神仏習合の遺産と考えることもできそうです。