
船明(ふなぎら)の長養寺には、奉納者として二俣図書館の名が入った「船明景勝と帆船」の写真もありました。その「船明景勝」とは「弁天岩」のこと。帆船の帆には久根や峰之澤鉱山の帆印が染め抜かれていませんので、観光用の船だったのでしょうか?
そして、もう1枚の写真には、筏が写っています。筏乗りは2人。中野町や掛塚まで天竜川を下り、自転車に乗って帰って来たとのこと。

「船明」の地名「船」の由来は不明ですが、明治24年(1891)の「戸数180・人口875、厩1、船18」。住民の多くは船や筏などの水運に従事していたとのこと。難読地名「船明」の「船」は、住民の暮らしを支えた「船」と無縁ではなかったはず。
そして、弁財天は元々インドの河神だったため、日本では水神や海上神の市杵嶋姫命(宗像三女神)と習合し、水神として海や湖や川などの守り神として祀られていることが多いようです。