2019年01月02日
東海道・新居宿を歩く⑨―紀伊国屋
新居関所の向かい側にある古い建物は「新居宿旅籠紀伊国屋資料館」です。
解説看板によれば・・・
新居宿旅籠紀伊国屋は紀州の出身で、江戸時代の初めに新居に来て、茶屋を営んだという。はじめは小野田姓を名乗り、後に疋田弥左衛門に改めた。
旅籠屋としての創業時期は不明だが、元禄十六年に御三家のひとつ紀州藩の御用宿を勤めるようになり、正徳六年に「紀伊国屋」を名乗ることを許されたという。
その後、享保十七年に帯刀御免、延享二年に五人扶持を賜り、江戸時代後期には敷地内に紀州藩の七里飛脚の役所があった。
紀伊国屋は、明治七年の泉町大火で焼失し立て替えられ、昭和二十四年まで旅館業を営んでいた建物はその後増築したが、一部に江戸時代後期の旅籠屋の様式を残していたことから、街道文化を伝える施設として活用するため、東海道四〇〇年祭にあわせ、再生整備工事を実施した。
・・・とのこと。
解説看板によれば・・・
新居宿旅籠紀伊国屋は紀州の出身で、江戸時代の初めに新居に来て、茶屋を営んだという。はじめは小野田姓を名乗り、後に疋田弥左衛門に改めた。
旅籠屋としての創業時期は不明だが、元禄十六年に御三家のひとつ紀州藩の御用宿を勤めるようになり、正徳六年に「紀伊国屋」を名乗ることを許されたという。
その後、享保十七年に帯刀御免、延享二年に五人扶持を賜り、江戸時代後期には敷地内に紀州藩の七里飛脚の役所があった。
紀伊国屋は、明治七年の泉町大火で焼失し立て替えられ、昭和二十四年まで旅館業を営んでいた建物はその後増築したが、一部に江戸時代後期の旅籠屋の様式を残していたことから、街道文化を伝える施設として活用するため、東海道四〇〇年祭にあわせ、再生整備工事を実施した。
・・・とのこと。
平成13年(2001)に解体修理が行われたとのことですが、館内に展示されていた「大正時代の紀伊国屋」の写真と比べてみると、1階の看板、2階の外廊下と斜めにせり出した欄干、袖壁など江戸後期の旅籠建築様式は当時のままです。