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2018年08月18日

水窪・西浦観音堂を訪ねて①―釈迢空の歌碑

釈迢空の歌碑 水窪の西浦(にしうれ)の観音堂と言えば、「西浦田楽」(国の重要無形民俗文化財指定)が催される場として知られたところ。久しぶりに西浦観音堂を訪ねたのは平成30年(2018)6月25日。所能(しょのう)にある旧西浦小学校脇の道を抜け、山道をしばらく登ったところに祀られています。

 急な石段を登って観音堂境内に辿り着くと、正面に見えるのが釈迢空の歌碑。刻まれている歌は・・・

  燈と毛(も)さぬ
 村を行幾(き)たり
   山かげの
      道能(の)
 あ可(か)りは
  月あるらしも
    釋迢空

「六鵬年和八十有三書」 「釋(釈)迢空」というのは、民俗学者・折口信夫(おりくちしのぶ:1887~1953))の号。「西浦の田楽」を全国に紹介し、国の重要無形民俗文化財1号に指定されるきっかけを作ったのが、昭和2年(1927)2月に水窪を訪れた折口信夫でした。短歌は、この時に詠まれたもの。

 また、碑文を書いたのは「六鵬」とあり、静岡出身の書家・沖六鵬(おきりくほう=おきろっぽう:1895-1982)。「年和八十有三書」とありますので、六鵬数えで83歳の年。昭和52年(1977)に書かれたもの。建立年もその頃でしょうか。




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